「桂文我の落語をめぐる冒険 」
この文章は「落語百席」のプログラムに掲載されたものです。
その1
このコーナーでは、私が最近思っている落語のことについてお話ししようと思います。本当に一方的な考えばかりだと思いますが、どうぞ、お許しの上、宜しくお付き合いください。
私は以前から、寝るときに落語のテープを聞きながらでなければ眠れない性分なのです。さぁ、誰の録音テープで一番寝ていると思います?時代をおって申し上げます。
まず、学生の時は先代文我師の「京の茶漬」が圧倒的に多かったのです。別に先代の落語が眠気を誘うという訳ではありませんが、負担のかからない、押しつけがましくない喋り口調が、布団の中で聞くには誠に具合のよいものでした。そして、何遍聞いても飽きなかったところをみると、やはり縁があったのかもしれません。
噺家になってからは、これも先代ですが、桂文治師の「皿屋敷」と、三遊亭円遊師の「野ざらし」が一番人気です。両師共に何かフワフワした口調で、そして、その時代にタイムスリップ出来る雰囲気が横溢しています。とにかく、楽しく眠りにつけます。
こんなことを言っていると、前期の三師匠に叱られそうですが、事実だけに仕方ありません。また、目がパッチリの時にどうしても聞きたいのかというと、そういう訳でありません。
落語って、改めて不思議なものだと思います。ライブで見て面白い人、ラジオてぜ聞く方が世界が広がる人、元気な時に聞きたい人、眠る時に手がいく人・・・様々ですネ。
(平成9年8月)
その2
落語家の歴史は300年だそうです。1670年代後半から、落語家らしき人が、京都・大坂・江戸に現れたのです。それまでに、町の面白い話を本にまとめたり、あちこちで愉快な話をする人々はいたのですが、オチのある話を作り、実演して、それで収入を得て生活をする人達が現れたのがその頃なのです。
京都は露の五郎兵衛、大坂は米沢彦八、そして江戸は鹿野武左衛門という名の人達でした。もちろん題材も、演出も、今現在の落語とは全く異質なものだったのですが、この人たちの作った落語が、後々の演者の工夫を経て、今現在も上演可能なネタに仕上がってきているのです。
私は叶うことでしたら、タイムマシーンに乗って、その時代へ行き、その人達の話を実際聞いてみたいし、また、その人達を生み出した時代を体験してみたい。きっと、今の落語会の忘れている何かがあるに違い有りません。そして、それが実は一番だいじなものなのかもしれません。
とにかく、その時代を我々は体験できないことと、その時代の人は1997年の落語を全く予想出来なかったことは、まぎれもない事実です。
(平成9年9月)
その3
上方落語の特徴の一つに、落語のお囃子の音がたくさん入ってくる、つまり、お囃子入り(ハメモノといいます)落語が多いことがあげられます。
これは上方落語のルーツが、室内ではなく、大道から始まったことも大きく、どうしてもお客集めや、聴衆の気持ちを引きつけておくために、楽器の力を借りなければならなかった訳で。それに、上方言葉がうまくマッチして、お囃子と程よい取り合わせになっていったようです。しかし今日の落語のハメモノ、より洗練され・工夫され、実に落語を盛り上げる存在となりました。
歌舞伎下座音楽を基盤に、あらゆる邦楽から少しずつ良い部分を取り入れ、その上に洋楽からも吸収していったものも、たくさんあります。
ハメモノの入る落語から、ハメモノを抜いて演じると、どうも腰抜けになったように感じますし、聞いて頂くお客様の楽しみも、かなり薄らいでいく様な気がします。
まだまだ様々な落語に、より良いハメモノの工夫ができるはずです。
これから先もズーと、ハメモノを見つめ続けていこうと思っている昨今です。
(平成9年10月)
その4
先日、子どもの授業参観が有り、私も人の親として行ってきました。そして興味深いことがありましたので、落語とは関係有りませんが、報告させていただきます。
それは授業の中で「食事の後で横になると牛になる」という諺は、本当か嘘かということでした。もちろん食事の後でゴロッと横になっても、牛に化けてしまうということは有りませんが、何故この様な諺ができたのでしょうというのが、このときの授業のテーマだったのです。
子ども達からはいろんな意見が出ました。「昔、本当に牛になった人がいたにちがいない。」とか「食事の後にすぐに横になったら、身体に悪いから、その戒めにそんな諺ができた」とか、様々な回答が出てきて、その度に父兄からは感心するやら、爆笑するやら・・・。しかし、その中であの子どもが言ったことに反応したのは、私だけでした。「牛は食事の後、冬眠する---」何?冬眠?笑ったのは私一人で、回りの父兄に白い目で見られてしまいました。私笑ったことは間違っていませんよね。もっと、子どもの言っていることをしっかり聞いたれ!と声を大にして言いたい、というところで、今回は紙面が尽きました。
(平成9年11月)
その5
私は和楽器大好き人間です。そしてそのお稽古に通うことも大好きです。今まで、三味線・笛・太鼓・鼓等を習いましたが、どれもこれも楽しく(楽しんでいるようでは、本当にうまくなれない、と言われそうですが)すでに生活の一部になっています。ことに三味線が大好きで、いままで長唄・小唄・義太夫の三味線を習ってきましたが、また、教えていただいたお師匠さんが年配の女性の師匠ばかりですが、きさくな良いお方ばかりで、本当に有り難いことだと思っています。
最近、これに津軽三味線が加わりました。一度習ってみたいモノだと、前々から思っていたのですが、縁ときっかけが見つからず、思いを募らせたまま、日が経っていたのですが、今年からご縁をいただき、今一生懸命に習っています。
おもしろいですよ。やり始めてよかった。今までのモノとは又違う。なんだ、この演奏法は。指がなかなかついていかない・・・など、四苦八苦しながら、関心と得心を繰り返して、何とか一歩ずつ前に進んでいる昨今です。
何です、少しでも弾けるようになったら、また落語の中に入れるのと違うか、て・・当たり前ですがな。もう、どのネタに入れて、どの様に構成するまで段取りはできとりますネン。ところが肝心の津軽三味線の腕が、まだそこまでいっとりまヘン。どないなることか、今後にご期待下さい。ヤレヤレいつになることやら。
(平成9年12月)
その6
あけましておめでとうございます。もう一月も二十日を過ぎてから、おめでとうもないものだろうと思われる方もおありでしょうが、何はともあれ、新春のご挨拶ということで。
さて今年はどの様な一年になるのでしょうか。昨年は世の中に、あまり良いことが少なかったようですが、私にとりましては、体調も崩れず(不思議に風邪を引いて寝込むということもありませんでした)ワッハ上方での「落語百席」も、無事に40席近くこなすことができました。しかし改めて新年を迎えて、今年の目標をもたねばならないと思い、いくつか自分なりに決めたことがあります。
落語については、あえてここでは申さず、この一年を見ていただくことにいたしますが、他のことでは、まず字を丁寧に書くこと。昨年はサーと走り書きしてしまうことが多く、丁寧に字を書いた覚えがありませんでした。そこで、今年は時間がかかっても良いので、丁寧に字を書くことが、まず一番。そして、日本舞踊・義太夫・小唄・三味線等を、もう一度練習して、身につけていく作業をすること。これはなかなか時間のかかることですが、これも総て落語に反映してくることに違いありませんので、それを徹底しようと考えている次第です。
さて年頭にあたり、皆様方はどの様な目標をたてられたのでしょうか?
(平成10年1月)
その7
さて、今現在全国でやらせていただいております、桂文我関係の落語会がどれくらいあるのか、先日改めて数えてみました。何と!50箇所を越しているではありませんか。何ともありがたいことで、その地区でお世話していただいているスタッフの皆様方には、本当に頭の下がる思いですし、まして毎回、足を運んで下さるお客様方には、感謝感謝でございます。とにかく噺家になって、落語だけで生きていきたいと思っている私にとりましては、何と幸せなことかと感激しております。
私は片意地で、落語以外の仕事はあまり興味がなく(贅沢を言うな、というお方もおありでしょうが、正直なところなのです)別に落語以外で顔が知れたいとか、お金儲けがしたいとは思いません。ただ、落語をやらせていただきながら、顔が知れ、それで生活ができれば、これに勝ることはないのです。これから先も、回りがどの様に思えども、もっと片意地になっていきたいと思います。そして、傲慢ですが、技を磨きながら、桂文我関係の落語会が増えていくことに全力を尽くす所存です。と、思っている今日、札幌での「文我の会」の開催が決定しました。有り難いことで。
(平成10年2月)
その8
今月の(3月)26日に、豊中市立伝統芸能館(阪急電車岡町駅下車、徒歩3分)で、「桂文我の落語をめぐる冒険」という会を催します。このプログラムの、このコーナーのタイトル通りの会で、つまりは落語に関することなら何でもありの会ということなのです。実は、昨年に東京両国シアターχというホールで、すでに3回行った企画で、自分としては、かなり面白いことがやれたのではないかと思っています。
今回のこの大阪版は、東京でやったこととよく似たことになるのか、それとも全く違ったことをするのか、我ながら、さっぱりわからないというのが現状です。落語セミナーになるのか、演芸会になるのか、討論会になるのか・・・・とにかく、私自身もあまり予定をたてずに、その日の体調や、気分で造り上げてしまう会にしようかと思っています。一言で言えば「限りなく、流動的な会」にしたいと思っています。もちろん、楽しくて、快いということが前提ですが・・・。
「桂文我落語百席」の様に、一つの枠を決めてしまいながら、その中から何かが生まれてくるものもあれば、その裏に何が何だかさっぱりわからない始まり方をする会を催すことも有意義だと思っています。どうぞ宜しくお越しくださいませ。
(平成10年3月)
その9
「桂文我落語百席」も、早いもので本日で半分終了となります。これもひとえにお越しくださいましたお客様方の御贔屓があってのことと、関係者一同感謝しております。
一昨年前の十二月から始まり、十七回目になります今回。自分自身もこんなに早く過ぎていくものかと驚いている次第です。そして今まで演じました四十何席も、出来が良かった、悪かったはあるにせよ、平均点以上はいけたのではないかと思っております。
さて、これから折り返しとなり、、より内容も濃く、楽しくしていこうと、改めて決意を固めておりますので、どうぞ各方面の方々にお知らせいただき、尻上がりに客席も埋まっていくことにご協力賜りますよう、お願い申し上げます。
落語というものは、他の芸能と違って、お客様の想像力(創造力)に頼る部分が大きく、増してその演者に対する好き嫌いで、その評価が辛くも甘くもなるものなのです。それだけに批判的に見れば、どれだけ回りが楽しんでおられるようでも、それが不思議に映り、また、楽しんでおられる方々から見れば、ムッツリしておられる方が、何のためにここに来ているの、と思えるものなのです。
摩訶不思議な空間作りともいえる落語会だけに、十二分に楽しんでいただけますように精進して詣りますので、今後の折り返し、どうぞ、宜しくお付き合い下さいませ。
(平成10年4月)
その10
「桂文我落語百席」も、いよいよ折り返しとなります。これから半分もよろしくお付き合いくださいませ。
私は5月が大好きな月です。なぜかというと、山の中には、わらび・ぜんまいという、山菜が沢山生え、それを採りに行くのが大好きだからです。私は三重県松阪市の山の中の生れだけに、小さいころから山の幸採りが大好きで、ポカポカとした穏やかな日に、新緑の山の中で、山菜採りに没頭するのが、何よりの精気回復なのです。
私にこの面白さを教えてくれたのが祖母で、私はおばあちゃん子だったので、いつも祖母に連れられて山に入ったものです。祖母は私が中学のときに他界しましたが、その前の何年かは寝たきりで、その当時小学生だった私は、老人介護の大変さも体験できました。祖母が大好きだっただけに、その介護も、別に嫌とは思わず手伝ったいたものです。
やはり、お年寄りと子供との繋がりが深いほど、良い世界をつくっていけるのではないでしょうか。そのころに、祖母から自然に伝わった何かが、今となれば、落語の気の入れ方や、生き方の大きな指針になっているように感じています。
(平成10年5月)
その11
今月の末に、私の二本目のCDとテープが、東芝EMIより発売となります。宜しくお買い求め下さいませ。今回のネタは「地獄八景亡者の戯れ」と「子はかすがい」で、どちらも私の故郷、三重県で落語会のライブ録音です。
「地獄八景亡者の戯れ」は伊勢市内宮前のおはらい町にある「すし久」という料理店での二階で、毎月最終日に催されています「みそか寄席」での収録です。
この落語会は、毎月のことながら6年ほど続いており、映画のロケにも使用されたほどの、時代を感じさせる建物で、落語にはもってこいのロケーションなのです。
この録音の日はお座敷に百人満席の中で、最後までワアワアと良い雰囲気の内にお開きとなりました。そして「子はかすがい」は松阪市の隣町の多気町で、10年以上前から年2回の予定で開催されています「ふるさと寄席」での収録です。
この日は本来は「枝雀文我二人会」だったのですが、ご承知のとおり、師匠枝雀が病気療養のために、急遽従来の「ふるさと寄席」となりましたが、苦情を言うお客さんも無く、なごやかで楽しい会となりました。どうぞその雰囲気をお楽しみいただきますよう、お願い申し上げます。
(平成10年6月)
その12
今年は寄席が開かれてから、ちょうど200年になる、いわば落語関係にとっては記念の年なのです。寄席というものを簡単に定義すると、一定の期間、一定の場所で木戸銭をとって興行するということになりましょうか。
そして不思議なことに、今から200年前の寛政10年に、江戸・大阪で同時に寄席興行の旗揚げが行われたのです。そういう時期であったと言ってしまえばそれまでですが、1年もずれることなく、同年に寄席興行の第1歩が始まったことは、まことに面白い偶然であり、興味深いことではありませんか。
江戸では大阪下りの岡本万作、そしてそれに刺激された初代・三遊亭可楽(当時は山生亭花楽)が始め、大阪では初代・桂文治が坐摩神社(現在の中央区九太郎町)の境内で行いました。
それまでは、辻噺(往来で小咄等を演じる)や、座敷噺(お座敷へ呼ばれて演じる)が流行っていたのですが、いよいよホームグラウンドをもってかつやくしようという機運が高まってきたのです。その記念の年にあやかり、文我落語百席も尻上がりに良くなっていきますように!
(平成10年7月)
その13
私は三重県松阪市の生れで、本居宣長のお墓の近所に実家があります。と、言っても最近までは、この本居宣長というお方に全くと言ってよいほど、興味がありませんでした。
しかし人生というものは、やはりおもしろいもので、私は今年から非常勤講師として相愛大学に行っていますが、この大学の千葉先生というお方が本居宣長の研究家で、いろいろ教えていただいている内に、本居宣長に興味が沸いてきました。
確かに本居宣長の一生と、落語の創成期とがちょうど重なり合っているだけに、共通点も全くないことはありませんし、まして、本居宣長が京都で学んでいるときに、落語の歴史上、初期の頃の大立者・二代目米沢彦八を見て楽しんでいたらしく、本居宣長の日記の中にも、米沢彦八の名前が記されているようです。
とにかく、本居宣長というお方は本当にマメで几帳面な御仁だったらしく、何事においても、こと細かに記録をとっていたということですし、自分のスケジュール管理たるや、誠に見事で、時間の使い方においても達人であったらしいのです。
人間、時間の使い方というものが、実は一番難しいことなのではないでしょうか。予定が詰まりすぎたり、怠けすぎたり・・・。
私もこれを機会に、本居宣長にあやかり、自分らしい時間の使い方を考えてみたいと思っている昨今です。
(平成10年8月)
その14
私の誕生日は8月15日で、お盆の最中であり、またご丁寧なことに「終戦記念日」なのです。不謹慎な発言かとは思いますが、私が子どものときは、何で自分の誕生日になると、テレビでは黙祷を捧げられ、お昼からはお坊さんが来て、仏壇の前でチーンてなことをするのだろうと、本当に不思議であり、不満であったのです。
ものが多少でも判るようになってきてからは、それはそれで良いと思いましたが、それでも夏休み中の誕生日は盛り上がらないと、毎年感じていました。
よく友達のお誕生会に誘われて行きましたが、それはみんな学校のある時で、私の誕生日に家で誕生会をした覚えがなく、まして、友達が来てくれたことなど有りません。
ア、念のため言っておきますが、私は友達が少なかったということではありません!これだけははっきり申し上げておきます。学校のあるときに誕生日が重なっていたら、こんなことには絶対なっていなかったと思われます。決して誤解のないように!
世の中に、8月生まれは私だけではなく、今日のお客様の中にもかなり居られることと思います。どの様にお考えでしょうか?しかし、親は喜んでいました。この季節ならお誕生会をしなくても良いと・・・世の中は、全く悲喜こもごもなのですヨ。
(平成10年9月)
その15
料理番組花盛りの昨今と言えましょう。「料理の鉄人」「どっちの料理ショー」など、何やら料理対決の番組が、高視聴率を稼いでいる様です。
確かに美味しそうな料理ばかりが出てきますし、聞いたこともない様な食材が表れたりして、羨ましかったり、びっくりしたり・・・。しかし、どれだけおいしい料理でも、三食全部がそれならば、絶対に飽きてしまうでしょうし、体調も崩れてくることと思われます。
さて、ここで私、自分にとって、三食全部がそのおかずであっても、飽きないメニューは何なのか考えてみて、愕然としました。それは贅沢な食材は全部はずれていくということです。とにかく、肉は三食全部は辛いものがあると、すぐ判断できました。ならば何か!はっきり申しましょう。きっと自分には全く合わないというお方があると思われますが、それを考えずに申し上げます。
まず、ご飯。そして、焼きのり、鯵の干物、茄子の漬物、タマネギの味噌汁、桃屋のイカの塩辛、というところに落ち着きました。こう言うと、何のことはない、一般的な朝食メニューになってしまったのです。つまり、日本の朝食はそれほど良く考えられたメニューなのです。
私にとって・・・。
(平成10年10月)
その16
「あなたは何がお好きですか」
人の趣味や嗜好が、年令によって変わっていくと言うことを、最近身を以て考えるようになりました。そういえば、二十代前半までは、菜っ葉の炊いたものなどは、あまり食べたいものとは言えませんでしたが、不思議なことに、最近ではこれが誠に美味しく感じるようになってきたのです。
そして肉類よりも魚類、こってり目よりあっさり目の料理が好きになってきつつあるのも事実で、ここ数年でその好みがかなり変化していることに驚いている次第です。
そして以前はコーヒーを全く口にしませんでしたが、近ごろは本当に美味しく思うようにもなりましたし、スープ類も大好きになってきたのです。
何やら支離滅裂に近い感覚とお思いの方もおられましょうが、これが私にとっと事実ですから仕方ありません。
とにかく今日の演目の一つの「ふぐ」も、以前はどこが美味しいのだろうと思っていましたが、今では「てっちり」「てっさ」も、食べ物の王様のように奉りながら頂いているのです。つまり私自身が身勝手で、なんだか判らない、動きに動いている性格の持ち主であると言うことだけは、最近重々理解できたと言うことをご報告して、お別れを告げます。
(平成10年11月)
その17
「来年は、こんなところで・・・」
ここ何年かは、新しいネタを増やしていくことに、かなり時間を割いてきたのですが、らeねんからは、このさぎょうもすすめながら、今までに演らせていただいたネタのレベル・パワー・グレードをアップさせていきたいと思っています。
今年も滅んでしまったネタの復活や、あまり上演されないネタの改作に力を入れてきたのですが、やはり、上演度の高いネタはそれなりの力があるのも事実で、これをよりおもしろく、自分らしく演じることが、今の自分に必要なことと感じだしたからです。
いつ聞いてもおもしろく、楽しいネタが並ぶ落語会づくりに、改めて全力を傾けていこうというわけで、かといってネタの復活や、改作を全くしないということでもなく、その部分も多少押し進めながら、納得のいく落語会づくりに腐心するということなのです。
確かに、どれだけおもしろいネタであっても、立て続けに同じネタを何度も聞いたのでは飽きがくるのも事実で、たまには聞いたこともないようなネタを、ということにもなりましょうが、これらのネタも、たまにでよいわけで、ポピュラーなネタに囲まれた珍品という感じの構成で、来年からは歩んでいきたいと思っています。
いつもどうも、わがまま勝手で、どうしようもない動きの噺家で申し訳ございませんが、これも後々の結果論待ちということで、ご勘弁くださいませ。
遅くなりましたが、今年一年、ありがとうございました。来年も宜しくご贔屓のほどを。
(平成10年12月)
その18
「ノストラダムスの大予言」に一言
かなり遅い挨拶ではありますが、あけましておめでとうございます。今年も「桂文我落語百席」を宜しくご支援ご鞭撻くださいますよう、お願い申し上げます。
さて今年の9月でいよいよ百席達成の予定ですが、ここで気になるのは「ノストラダムスの大予言」なのです。
この予言によりますと、今年の7月か8月で地球が滅亡するらしく、そうなれば、百席達成は不可能ですし、我々の存在もなくなってしまうのです。
これはえらいこっちゃと、それではこれから毎月5席ずつ演じていけば、地球滅亡までに何とか間に合うとも考えたのですが、これもよく考えてみれば、それこそあほみたいな考えに過ぎない、というところに落ち着きました。
だいたい昔の一人のおっさんの言ったことを皆が信じすぎているだけ・・・・ではないでしょうか。そして、そのように考えた方が気分が楽ではありませんか?
この予言の関係書もかなり売れているそうですが、この予言が当たらなければ、どのようないいわけをするのでしょう。
また改めて、こじつけの新たな解釈本を刊行することは目に見えていますし、それに予言といわれたものが、今まで当たった試しがないではありませんか!
そんな予言を研究する本を出すぐらいなら、地震予知にもっと力を注いでもらいたいものです、という、ぼやきを、新年のご挨拶とさせていただきます。
(平成11年1月)
その19
先日、徳島県日和佐町という、海亀の産卵地で有名な町へ落語会で行ったときのことですが、何と海を眺めていたら、イルカの大群を見つけたのです。それは高台の展望台で海を見ていたら、イルカが五十頭ほど、勢いよく海を横切っていくのです。その展望台からイルカまでの距離は何キロもあり、イルカもあまり大きく見えませんでしたが、、私の近くに百円入れるとしばらく見られる双眼鏡があり、これ幸いと百円入れようとしましたが、そんなときに限って細かいお金がありません。(そういえば大きなお金もありませんでした)
残念と思いましたが、何となくその双眼鏡をのぞいてみれば、神の助けか、これが壊れていて、百円を入れなくても見えるではありませんか。
早速イルカの場所に合わせますと、いかにも勢いよく、イルカが海を潜ったり飛び出したり、その躍動感たるや凄まじいものでした。
一体どこを、なにを目指して泳いでいくのかは判りませんが、皆で颯爽と泳ぎ切っていく姿は、本当に心洗われる光景でした。
偶然とはいえ、こんな姿を見せてくれたイルカと、壊れていた双眼鏡に感謝して、又、新たに我々もがんばらねばと思った今日この頃です。
(平成11年2月)
その20
今年になって凝っているものは、私が学生時代に見ていたアニメーションなどを改めて見直すことです。「サンダーバード」「天才バカボン」「宇宙家族ロビンソン」「いなかっぺ大将」「宇宙戦艦ヤマト」や、「ゴジラ」「ガメラ」などの怪獣映画のシリーズもそれに入ります。
その中でも、特に感心する出来の作品は「サンダーバード」であり、爆笑編としては「天才バカボン」です。人形劇として、平成の今日に見直しても、唸るほどすばらしい内容を持つ「サンダーバード」は、まさに大人も子どもも必見の楽しさと思いますし、「天才バカボン(元祖天才バカボン以降の作品は、余り好きではありません)」は、我が家の子どもたちも絶賛で、繰り返してビデオを見てはゲラゲラ笑っているのです。
やはり、良いものや、面白いものは、時代が変わっても十分に伝わるものですし、かえって今の流行ものよりも新鮮にうつるかもしれません。
食べ物でも、子どもの頃に食べていたものの方が、何かしら、おいしいもののような気がしますし、もう一度、改めて味わってみたい衝動にかられることもあります。
ノスタルジーという言葉だけでは片づけられない、普遍的な良さとは何かを、改めて考えている昨今なのです。
(平成11年3月)
その21
以前は風邪を引いて寝込むことが多かったのですが、体長の変化か、心境の変化か、最近ではそのようなことが無くなりました。
そのかわり、花粉症らしきものにかかりだし、春先になると、目がむず痒くなったり、花がぐすぐすいったり、困ったことと思ったのですが、これも目薬や、鼻炎の薬でおさまる軽傷で、重度の花粉症の方には、誠に面目ないほどの症状なのです。
身体もしんどいことなく、食欲もあり、元気いっぱい・・・・と言えば良いのですが、人生そんなに甘くはありません。
さすがに記憶力が、二十代と比べると低下してきたようです。別に老化現象と言うところまではいってないのですが、確かに以前はお人の名前から電話番号まで、きれいに覚えていて、忘れることが少なかったのですが、今は無惨なものです。
しかし、ネタを覚えると言うことは別の回路らしく、これは二十代の頃と余り替わりがないので、喜んでいます。
食べ物でも「おやつは別腹」と言う言葉があるだけに「ネタは別頭」ということになるのでしょうか。とにかく今はねたが覚えられなくなるまでは、悩むことはやめにしました。
(平成11年4月)
その22
人それぞれに「好きな物ベストワン」「嫌いな物ベストワン」があるでしょう。食べ物・生き物・色・季節など、そのジャンルは様々ですが、今回は「食べ物」だけにしぼって述べたいと思います。
まず私の好きな「食べ物」は・・・・・実は、大変多くて、あえていえば何かというのが、とても決めにくいのです。しかし、そこは意を決して、その中でベストワンを決めるとすれば、鯖の煮付け。ということになりましょうか。
殊におなかの脂がのった、鯖全体が生き生きしている時期の物を、甘辛く煮付けた物が一番の好物で、これならご飯が何杯でも、という感じです。それとは反対に、これだけはどうしてもという、私にとって嫌いなベストワンはお好きな方には申し訳ありませんが、トマト、なのです。勿論トマトジュースも全く駄目で、サラダについているときも、その回りの物まで食べられなくなる始末です。
ただ不思議なことにケチャップは大好きで、これをいうと「それはおかしい」という人が大半です。米平さんに言わせれば、それは「贅沢」ということなのだそうです。ご尤も!
(平成11年5月)
その23
これから夏に近づくにつれ、冷たい飲み物がだんだんおいしくなってまいります。そして炭酸系の飲み物、早い話がコーラやサイダーなどを、胸の内がスーとすると言うこともあり、ずいぶん多量に飲んでしまいがちです。
私は冷たい飲み物で、特に好きな物といえば「カルピス」です。とは言え、「コーラス」などの「カルピス」に似た乳酸菌飲料も○で、何も銘柄が「カルピス」でなければならないということではありません。
ただ最近は、いえ、ここ何年かはこれらの乳酸菌飲料を、意識的に我慢して飲まないようにしています。何故なら、これらの飲み物が好きになりすぎて、食事の時もこれらを愛飲していたために、これを続けていたら、必ず「糖尿病」になってしまうと、回りの方々に注意を受けたからです。
確かに、どんな健康食品でも過剰に飲み食いすると、身体に悪いわけで、私の場合、かなり度が過ぎていたようです。
お酒が原因で「糖尿病」になる方は、世の中に沢山おられますが、「カルピス」が原因で「糖尿病」を患ってしまったら、本当に目も当てられません。ですから今日もそれを気にしながら、「カルピス」を我慢しているのです。
(平成11年6月)
その24
落語会の舞台面で、まず目に付く小道具と言えば「座布団」です。
もちろん「屏風」や「毛氈」などもそれに当たりますが、やはり、噺家が座るピンポイントに置いてある「座布団」に目がいくのは自然なことでしょう。
各地の落語会へよくお越しになる方はおわかりと思いますが、この「座布団」一つをとってみても、その「色」や「厚さ」、そして「大きさ」がかなり違うものです。
まず「色」ですが、これは舞台に赤い毛氈を使用しているところが多いことと、その上、落ち着いていて、気品を感じることもあり、紫色のものが圧倒的に多い様です。
確かに見た目にもこの「色」が、落語には向いているようですし、落ち着いていながら、適度に派手さを感じるので、演者からも、客席からも好感を持って受け入れられている、落語会の「座布団の色の王者」と言えましょう。
次に厚さですが、あまり多く綿が入っていると座りにくく、痺れが切れやすくなりますし、座って動作をするのも、ゴソゴソして、どうも具合の悪いものです。適度に薄いものの方が、落語会向きの「座布団」なのです。
そして「大きさ」ですが、よく地方の市民会館などでは、ばかでかいものを用意してあるところがありますが、これも具合が悪い。家庭用の物の一回り大きい物が使いよいようです。
しかし、これはあくまでも、私個人の最適さを述べただけで、噺家全ての意見ではない、と言うことをあえて一言、付け加えさせていただきます。
(平成11年7月)
その25
「メダカが絶滅するかも・・・」
子どもの頃の夏の思い出と言えば、あなたなら何をあげますか?
私にとっての強烈な思い出としては、井戸で冷やしたスイカの美味しさと、小川の中を鼻先を揃えて、群をなしてサーッと泳いでいくメダカの姿です。
殊にメダカのカッコ良さは感動ものであり、川底の砂にうつるメダカの姿の影自体が、芸術的にさえ見えましたし、太陽の光を地球上で一番受けているようにも思えたものです。
身の丈は僅かなのに、あれだけの存在感と快さを与えてくれたメダカが、何と絶滅の恐れがあると聞いて、愕然といたしました。
そういえば、最近、メダカの姿を見かけることが少なくなったようです。
私が今住んでいる、三重県松阪市の山の中には、昔ながらの小川も、まだ存在するのですが、そこを覗いてみても、以前ほどのメダカの姿を見かけることはなくなりました。
まだ、カブト虫や、ホタルの方が目に入ってきますし、又、それらの姿は、こちらも気をつけてみていたようにも思います。
危なくなってきた頃に惜しくなるのが人の常ですが、このメダカの姿だけは、今後も残っていって欲しいものですし、私が子どもの時に見ていたメダカの存在の大きさだけは、多くの方々に知ってもらいたいと思います。
都会の喧騒を離れて、一日中、メダカの走る小川を覗いて歩くことが、精神的なマッサージになるのではないかと思っている次第です。
その26
皆さんは「東君平」という、作家であり、詩人であり、そして、イラストレーターであった天才をご存知でしょうか?
今年で没後十三年になり、生前、毎日新聞に連載の「おはようどうわ」で、絶大な人気を得、未だにその人気は年々盛り上がってきているという方なのです。
名前は知らないという方でも、その作品をごらんになれば、誰もが一度は目にしていることが再認識できることは間違いなく、その暖かく、キュートな作品は、心の緊張を解いてくれる、本当に気持ちの良い作品の数々なのです。
最近NHKの人気アナウンサー・村上信夫氏のご紹介で、君米さんの愛娘、菜奈さん(絵本作家で、最近さだまさし作の童話の絵も手がけた)と知り合うことができました。
そして再び、久しぶりに「君平作品」に触れ、改めて、そのすばらしさに浸らせていただいたのです。忘れていた完成を呼び起こしてくれるような、そして、又新たな驚きを運んでもらったような・・・不思議な嬉しさです。
ご縁を頂いた村上アナに感謝しつつ、このご縁から発展して、東京で「くんぺいワールドへようこそ」という、菜奈さんとのトークショーも開催することになりました。
それまでに一度、小淵沢にあります「くんぺい童話館」へも寄せて頂きたいと思っている次第です。