文我さんと松尾光明 文我さんを取り巻く色々 文我さんとは?・・
何だかとりとめのないことになりますが 書いてみます
文我さんの前の名前は「雀司」でした。枝雀師匠の六番弟子。私が雀司さんに初めて会った時のことは、残念ながら覚えていません。きっと枝雀師匠の会だと思います。それから梅田の太融寺でもお会いしてますが、当時は雀三郎・九雀両名の落語会によく行ってましたので、雀司さんとはあまり話しをしませんでした。九雀君は箕面高校の後輩と言うことで親しくお話をしていました。雀三郎さんはイベントにお越しいただいたり、大阪笑芸倶楽部で初めて艶噺をネタおろしされました。
さぁそこでそのうちなのですが、いつのまにやら雀司さんと仲良くなって、真言宗大阪寺族婦人会の近畿大会で落語を披露していただいたり、常福寺の新聞に毎号(平成5年3月より平成11年まで)原稿を掲載していただいたりということに・・。そのきっかけも覚えてないのです。平成4年の青葉祭り(6月)に、1年前より行っていました落語で出演いただいたのがきっかけかなと思います。初年は九雀君でした。この時期が各地の落語会に一番行っていたと思います。雀松・宗助もたくさん行きまし。米朝一門の落語会は頻繁に参加して、当然米朝師匠枝雀師匠は必ず。
その中で平成7年阪神淡路大震災。この年の2月25日に四代目桂文我を襲名されます。
そして以前からの構想であった常福寺での定期落語会を文我さんの協力の下スタートさせることになります。福々寄席。第1回は平成7年4月29日(祝)。会場は本堂。スローガンは「笑いは元気のモト」。現在平成16年1月で33回になります。
四代目桂文我大阪応援会も新たに設立。東京も続きます。
この応援会が一番動いたのは大阪ミナミのワッハ上方演芸ホールで行われた、文我百席の時期でした。(平成8年12月から平成11年10月まで)毎回「おおさか文我だより」を発行し、最後の方になると20ページにもなっており35号まで作りました。
もちろんできるだけ文我さんの落語会には参加するように、チケット販売に協力したり、チラシの配布・郵送をしたり、手拭いも作りました。文我さんに字を書いていただきました。「刹那」と。
事務所主催以外は会場設営から受付の手伝い物品販売・・。打ち上げの設定は特に熱心に、そらそうです文我さんと語り合えるのですから。
ここで文我さんの落語会には欠かすことのできない三人娘の話をしておきましょうか。知る人ぞ知る。浪花美人三人姉妹。血のつながりはなく、太融寺の写経と写仏の会で知り合った落語大好き、楽しいこと大好き、お酒飲んだりご飯食べたり大好き・・・、という長女山本澄子嬢、次女田中百合子嬢、三女木下キミ子嬢です。文我さんの落語会には欠かすことのできない存在。よく笑う。世話好きである。気がきく。色々な段取りがわかっている。打ち上げには必ず参加する。何よりも落語を愛し、文我さんを愛し、文我さんの奥様の益美さんの見方。
三人娘(太融寺本坊二階 落語会受付にて 2004.6.25)
左から 木下キミ子さん 田中百合子さん 山本澄子さん
文我さんの奥様の益美さん。ずっと接しておりまして一言「偉い」もう一言「立派」ついでにも一つ「できないですよ・・」これは凄いお方です。女房の鏡。落語家の奥様としてのナンバー2。すみませんナンバー1は枝代子師匠、亡き枝雀師匠の奥様です。でももう今となってはナンバー1としか言いようがないくらいよくできたお方です。時々体調のことをみんなで心配します。妻・二男一女の母・運転手・出囃子ハメ物の三味線・小唄等の担当・着物の管理・物品の整理・お金の管理・挨拶・お稽古等々。できませんよなかなか、できません。はい。でもそんな姿は微塵も見せません。芸人の周りでしんどい素振りをしますと芸に響きます。文我さんの気が下がるといけませんから、そこはそれ阿吽の呼吸で笑顔。偉い! 立派です。
よく気のつく人ですから、弟子には厳しかったですよ。文我さんの一番弟子のまん我君。よく鍛えられました。いいことです。将来に役立ちます。親身になって指導と小言を言ってくださる方がいて。まん我君は幸せです。
結婚は昭和60年4月11日。同級生だからどちらも24歳。益美さんはしばらく英語の教師をしておられた才媛。有名な話として、喫茶店で5分で口説かれたと言うことらしい。詳しいことは私が怒られるといけないので、何かの機会に聞いてもらうことにします。
私が文我さんを好きなのは何か? それは爽やかさと、裏切らない落ちへの信頼。小気味良さと頭の中で回り続けている落語パワーの凄さ。少し天然ボケの残るあどけなさと芸に対する思い入れの確かさと鋭さ。時に「それは違うかな?」と、思わせておいて結局うまく仕上げてしまう賢さ、判断力の確かさ。不思議なことにこだわる少年のような気持ちも魅力かもしれない。落語をこよなく愛し、覚え、話し、改変し、復活させ、挑戦し、疲れることを知らない底力と目に見えてわかる「落語大好き、枝雀師匠大好き」の姿勢。三味線・義太夫・笛・バイオリン・小唄端唄長唄、踊り・・。いくつのことができるのかわからない。
落語の資料収集はたんに宝物として納めておくだけではなく、それを活用して命を再注入してしまう技の持ち主。古書店で臭いを嗅ぐごとくに見つけだす強運。出会いの奇妙さ。本が呼んでくれていると言わんばかりの出会いも不思議だ。
何と申し上げていいのかわからないが、こんな噺家さんはそうはいないだろうと思う。きっと珍しいだろう。世に出た文我さんの書籍・CD・テープ等は止まるところを知らない。親も子も楽しめて、日本各地に出没。年間300高座を努めて疲れを見せない超人。願わくば無理だけはしないように願いたい。
文我さんについて 色々と・・・・。
食べ物
文我さんは食べ物に対しては大変楽しいお方ですね。子供のように食べたいものへのこだわりというか、思いがありますね。それは全国各地に出かけられますから、外食とか弁当が多くなっていることとも関係しているように思われます。私とは大阪で食事をする機会が多いのですが、と言っても大半は落語会の打ち上げだったりするのですが、冬場になりますと目が輝いておられます。何処の店に行くかというのも気になられるようですが、それよりも食べたいものがあるかと言うことなのです。食べたいもの。そうです。「鍋」。「てっちり」なのです。10人での食事で全員てっちりと言うわけにも行かないときは、3人前ほど頼んで皆で分けて食べる。雑炊は全員分作ってもらう。そんな形が多いですね。席に座るなり目が輝いておられます。目が「てっちり!」になっています。
その他の食べ物はあまりこだわりがないようですが、食べられないものにキュウリとトマトがあります。
最近では少しくらいは食べられているみたいですけれども。
飲み物
飲み物は極端にセーブされてますね。出会った頃は、お酒ビール酎ハイ、そこそこ飲んでおられました。現在はほとんど飲まれません。頼んでもサワー一杯。後は水とお茶を飲んでおられます。喉のことと明日もあるというのが気になっておられるようです。
タバコ
タバコは吸われません。周りで吸っているのは許しておられます。落語家でタバコ吸う人は結構おられますからね。仕方ないでしょう。
携帯電話
携帯電話は文我さんのためにあると言っても過言ではないでしょう。何せよく連絡を取られます。それというのも、落語会が頻繁にある。出版物に関わっておられる。その打ち合わせ等でよく電話をされてます。
後回しとか中途半端では駄目で、きっちり今に決めておかれます。そうしないと、いくらでも用事が後回しになってしまい、かえって失敗や忘れ物の要因になります。今することは今する。相手のある仕事をしておられますから大切なことです。これは奥様の益美さんにもいえることで、よく電話がかかったりかけたりしておられます。
収集
落語関連の書籍。レコード・テープ。色紙や写真、ポスターやチラシ等。落語関連のあらゆる物を集めておられます。半端じゃありません。凄いですよ。
そこから生まれてきたのが、「復活・珍品 上方落語選集」三巻(燃焼社)。正・続・続々。
ネタの数が300は有にあるという文我さんですが、まだ掘り起こしで増やしています。ネタの数を競っているわけではなくて、いいモノを今に、そして後世にという熱い思いからのことです。
松阪にあるお家は資料でいっぱいです。大工さんに柱を太くしてもらったようです。二階に資料が保管されていて、その重量に耐えるようにと言うことだそうです
服装 カバン 移動
靴はリハビリシューズです。枝雀師匠もお気に入りでずっと履いておられたそうです。布製のズック靴のようなものです。
お気に入りのコートは、枝雀師匠の形見のコート。暖かそうです。
カバンは旅行用の車の着いた引っ張るタイプ。解っていただけるでしょうか・・。ガラガラと・・。
文我さんの場合は最高でこのカバンが三ついります。自分の落語会では三席する事が多いので衣装がたくさんいります。それに二つ使います。一つは物品です。CD・書籍等のグッズがぎっしり。助演で出るときは一つですが、たいがい自分の会ですから三つです。ということは、益美さんの運転する車で移動と言うことになります。
落語会をする会場には滅多に鳴り物や見台・ひざ隠しがありませんので、一式車で運びます。太鼓・締め太鼓・ドラ・座布団・見台・ひざ隠し・名ビラ・めくり台・鉦・付け・付け板・三味線・柝、その他。ワゴンタイプの車にイッパイと言うことになります。
落語
文我さんは自分のネタをすべて文章化しておられるようです。そしてすべての落語会の自分の落語を録音しておられます。昔はカセット、今はMD。
繰り返し聞いては話し、又録音しては聞く。又話す。お稽古をして本番に臨み、本番の反省をふまえてお稽古をする。何と凄いことかと思います。当然落語家の皆様はそうしておられることと思いますが、数が多いだけに驚かされてしまいます。同じ噺も含めてですが、年間300は凄い数ですね。
お囃子や鳴り物の入る上方独特の噺を得意としておられます。当然下座で三味線・小唄長唄等担当は奥様の益美さん。太鼓や鳴り物は米朝一門の若手の人たち。米平さん宗助さん紅雀さんまん我君がよく登場します。
本番前の合わせは真剣そのもの。鳴り物ハメモノのきっかけを間違うと噺自体がダメになってしまいます。本番前の舞台の上での顔は厳しく、真剣。舞台袖にまで伝わってくる、凛とした緊張感です。
文我さんは落語が大好きです。それは枝雀師匠を大好きなのと同じようです。
いっときよく文我さんに言いました。枝雀師匠の得意爆笑ネタをやってほしいと・・。そしたらいつかやりますよ。という答え。ネタはすべて頭の中に入っているからいつかやりますよ・・。
私はそれを待っています。