編集者「松尾光明のページ」
第14号から 平成10年1月
前回に引き続き、編集者であり、文我おおさか応援会であり、僧侶である松尾自身が、仏教の話で1ぺーじ目を担当させていただきます。
さて前回は丸坊主の話でしたが、今回は「お花」の話をしてみたいと思います。
現在におきましては「お花」は仏前に供えられたり、床の間や部屋の飾りに使われています。しかし、神前には榊のように青葉のものが供えられます。これは仏教渡来以前は色花を供える風習がなかった、ということになります。ですから今の、色花を供えたり飾ったりするのは、日本に仏教とともに入ってきたものなのです。華道の家元がお寺なのもこれで理解して頂けると思います。
では何故仏前に色花を供えるようになったのでしょうか?
仏教は色々な象徴を利用して、仏の教えを表そうとしました。そのひとつとして「お花」があるのです。「お花」は何を象徴しているかと申しますと『忍辱』の徳を象徴しています。花は暑くても寒くても、雨が降っても風が吹いても、時には踏まれても、じっとその状態を耐えて、次なる時間を待ちます。そして自らの花の咲く時期には違わず見事に花咲き、実をならせます。
仏前の花は、私達の方に向けて供えます。どうぞ私のこの姿、耐え忍んだ結果を見てください。そして、見ていただいた貴方も、この世には耐えなければならないことが沢山あります、でも踏ん張って貴方の素晴らしい花をどうぞ咲かせてください。貴方の幸せを自らの手で掴んでください。花はそう語ってくれています。
さて今年はどんな年になるのでしょうか。まだまだ安閑としていられないのかもしれません。負けずに強く生き抜きたいものです。「笑いは元気のモト」どうぞ笑いからも、元気を貰って下さい。
第15号から 平成10年2月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身が、仏教の話で一頁目を飾らせていただきます。
先日檀家の法事にお参りをいたしまして、お経が終わってから振り向いて、いつものように法話を始めようと思ったのですが、あまりに子供さんが多かったので(八人)これは一つこの子らに質問をしてみようと思い「何故、お線香を供えるのでしょうか?」と聞いてみました。幼稚園から順番に聞いたのですが、小学校までの六人は「わからない」ということでした。さて愈愈中学生ということになり、まず二年の女の子が「香りを供えるため」と答えてくれました。これはすばらしい答えです。最後に三年の男の子に聞いてみますと「亡くなられた方の菩提を弔うため」と答えてくれました。これも又すばらしい答えでした。
皆さんならどうお答えになられますか?
お線香は、仏様に香りをお供えし、亡くなられた方の菩提を弔うためという答えで満点なのですが、ひとつ大事なことが抜けています。それは、供えた人が「私も佳い香りを出せる生活に心がけます」とお誓いすることなのです。気持ちは仏様に向いていていいのですが、仏様からのお返しのメッセージを聞かなければいけません。「あなたに供えていただいたお香の香りは素晴らしい。ありがとう。でもあなたが日々精進して、周りの方々に佳い香りを与えている姿を見させていただくことも大変うれしいのです」。私たちは一人っきりで生きているわけではありません。ならば お互いに香りの佳い「言葉」「態度」の日暮らしが大切なのではないでしょうか。そんな誓いを持って、お線香を供えてみください。仏教は今生きているもののためにあります。
第16号から 平成10年3月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
私と同じ歳の有名人で、私が最も誇れるのは、現九重親方、元横綱千代の富士関で、三十一回の優勝は歴代二位の記録です。相撲内容・成績も凄いのですが、私が何よりも彼を愛するのは、幾度となく訪れたケガからの復活です。力士にとって致命的な肩の脱臼という大ケガから不屈の精神で、その度に成長し這い上がってきた。決してやけになったり、逃げることなく、真正面からケガと戦い、その度に一回り大きくなって帰ってきた。千代の富士関は「自分を育ててくれたのは、師匠であり、仲間であり、後援会の方々、ファンの方々ではあるが、何よりもケガが私を育ててくれた」と、自らも語っています。なかなかそうは思えないものです。
千代の富士関ににとって、ケガは師匠であった、自分を育ててくれた、良い師匠であった。何も人だけが師ではなく、ケガも、言葉も、経験も、自分を育ててくれるものは皆師匠である。成功も失敗も師匠である。行動を興すと結果が出る。その結果を素直に見ることができるかどうかで、その行動自体と、その次の行動が決まってくる。どんな結果も有り難く受け止める心の余裕と、自分の程を知る勇気を持つこと。何事も自分を育ててくれる師匠と見ることができるかどうかで、自分が成長できるかが決まる。きつい、厳しい、疲れる取り組みだが、その後の気持ちはきっと爽やかだと思う。おいしいご飯が食べられるに違いない。一時の苦しみを師匠からの試練と見て、乗り越える勇気を持つこと。誰の話でもない、今の私の、それが努力目標なのです。そう、か弱い私の密かな挑戦なのです。
第17号から 平成10年5月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
と言いたいところですが、前回の四月号はとうとう休刊になってしまいました。といいますのも急遽四月十三日に検査入院をいたしまして、二週間病院暮らしをしてしまい、とうとう文我だより発行ができなかったという、大失態になりにけり。心待ちにしていただいた皆様方(そんな人はおらんかな)には申し訳ないことをいたしました。何せその検査というのが「狭心症」の疑いが有ると言われれば、これはほっておくことができず、初入院・初点滴となりました。結果を申せば心臓自体は「おとがめなし」でよかったのですが、そもそもの成り行きが、左胸がもやもやするのでということから始まったので、ではこのもやもやは何かというと、回りの筋肉のけいれんから来ているとのこと。まぁストレスから来ているモノではないかということで、無理をせず日暮をしてくださいといわれ帰ってまいりました。文我さんからは毎日のように電話を頂き、お見舞いにも来てくださいましたし、ベッドで暇でしょうからと、落語のテープ等を差し入れてくださいました。中でもうれしかったのは、次回のCDになる予定の「地獄八景亡者の戯れ」と「子はかすがい」の録音テープでした。それぞれに工夫を凝らした演出といい、いつものさわやかな語り口。寝れない病院のベッドでイヤホンで聴いていると、やすらかな眠りに落ちていく気持ちよさ。何回聴いても安心して眠れるので、とうとう地獄は最後がどうなったのかわからずに退院してしまいました。改めて家でゆっくりと聴くことにしたいと思います。いやぁ、落語って本当にいいものですね。
第18号から 平成10年6月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
私達は高野山で「行」をしているときは、朝起きたら何を称え、洗面では何を、便所では何をと言うふうに、色々な決まった偈文を称えています。お堂によって拝むお経も違いますし、正座だったり、立ったままだったり、夜などは真っ暗にしてお勤めすることがあります。そんな中ご飯をいただくときに食事作法というのがあります。今回はその作法の中から感謝反省の気持ちを表す、「五観の偈」とい
うのを解りやすく約して紹介いたします。
一、食べ物が人の口に入るまでにどれだけ多くの労苦が加わっているか。
二、果たして自分はこの食物を頂くだけの正しい行い、相応しい働きをしただろうかと反省し
三、気に入ったからむさぼるように食べ、気に入らぬからといって腹を立てるようなわがままな気持ちをいましめ
四、まさに食物はわれわれの身体を養い育てる良薬と心得て食べる
五、尊い仏のいのちを生かしきるために、今この食物を頂くのである。
これは作法の一部なのですが、飽食の時代に見直すべき事柄がそれぞれに説かれています。特にこの食物が、自分の目の前に来るまでの課程を考えれば、粗末には決して出来ないはずです。残すことなどもってのほかです。大事に味わって食べなければなりません。私はそういう気持ちで「行」中に残さず大事に食べました。みんなの分も。そうしたら「行」が終わったら私だけ3キロ太っていました。勿論、怒られました。みんな痩せているのに、何故お前だけ・・。
大事に食べたんですが・・。
第19号から 平成10年7月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
「拝んでいると、雑念が入ってきてしょうがないんですが?」という質問がよくあります。最初はその気でお経を読んでいるのですが、知らず知らず他のことが頭の中を支配している。私はダメな人間なのかしら。ご心配なくそういうことは誰にでもあります。お坊さんにもあります。それが普通でしょう。そのこと一つに集中できるのは、時間にして数秒かもしれません。それの積み重ねで時間は延びていくのですが、そないに皆がプロの行に挑戦することもありません。拝むことの大事な目的に、自分を知るということがあります。それも今の自分です。今の自分は何を思い、何に一番気がいっているのか。昨日と今日の違い、思い浮かべる明日の姿の違い。それを知ることは大切なのです。拝む、祈る時に自分のレベルがわからないで目標を立てても、その道は進みにくいでしょう。まず自分を知ることです。雑念がわいてくるのは今の自分が出てきているのです。気を集中すればするほど今の自分が出てきます。素直にその雑念を眺めることが、実は大切なのです。ダメなのではなく、大切な機会を与えられたのですから、その時は雑念を大いに甘んじて受け入れてください。そして又再び気を入れ直して、拝み、祈ってください。そんなことの繰り返しでいいのです。お坊さんだってそんなことはしょっちゅうあります。お経を間違えてしまうことも、大きな声では申しませんが、あります。三分のお経を二分で終わってしまったり、五分経っても終わらなかったり、でも檀信徒にはわからないようにしなければなりません。ここがお坊さんの偉いとこです。
第20号から 平成10年8月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
「観音さんは、男ですか女ですか?」という質問がよくあります。もっともな疑問だと思います。数ある仏様の中でも、特に観音様は見た目の柔らかさ、優しさがとても女性的だから、そういう疑問がおこっても当然かと思います。しかし、答は「男でも女でもない」が正解です。敢えて言えば、モデルがお釈迦様ですから、男と言えないこともないのです。口のまわりに髭を描いたりするのもその表れです。性別がないというのはどういうことかと申しますと、仏様のお姿は「真理を表現するため」の姿をとっておられるので、俗の男女には属さない。というのが本当のところです。そういわれてみてみますと、手が長い、耳が大きい、額の真ん中に光るものがある、首に三本の筋がある、手首足首にくぼみがない、手に色々なものを持っている。特に蓮の華を良く持っておられます。台座にも蓮を使っておられます。この蓮は仏教では最も尊ぶ華として扱われます。泥の中に育っても、水面に出て、華を咲かせる時には、本来持っている清い色、美しい姿を損なわず見事に咲かせます。私達は本来生まれながらに清い心、美しい行いの出来る姿を持っていることを示してくださっています。本来的に善人であることを教えてくださっています。
以前文我さんと話をしておりまして、この皆善人の思想の上に、落語は成り立っているという結論に達しました。思いっ切り笑って噺を聞くことが出来るのは、誰もがみんないい奴だからです。愛すべきスカタンであり、おっちょこちょいだからです。許してあげられるのです。さぁ、本日も思いっ切り楽しんで、笑ってください。
第21号から 平成10年9月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
お坊さんの夏の行が終わりました。一年十二カ月の中で、他の月とは全然違う過し方をするのが、八月です。お坊さんみんながそうではないのですが、私の場合は一日から、二十四日の地蔵盆まで他のことは殆どしないで、ただひたすらお盆の行事と、施餓鬼法要に忙しく致します。父が健在なときは二人で取り組んでいましたが、一人になってからはお盆参りも八月の頭から、今年は二日からお参りに行きだしました。それくらいから始めないと全部の壇家さんに行けないのです。二週間のこのお盆参りのために、七月は身体作りをしています。何と言っても早寝早起き。普段より早く六時までに起きます。食事も注意して、お腹の調子を整えます。暑さになれるために、クーラーの部屋から出て、汗をかきます。着物も点検いたします。車も点検に出します。そしてお盆を迎えます。八月の終わりはボーとして、何事にも集中できないのが毎年のことです。
「お盆にご先祖さんが帰ってくる」これが日本のお盆の考え方です。お墓参りをして、仏壇を飾ってお迎えいたしましょう。「何故お盆には、ご先祖さんが帰ってくるのでしょう」と聞いてみました。すると、みんな「えっ」・・・。そこまで考えてない。久しぶりに私達に会いに帰ってきてくださるのではないのですか・・・。色々な意見。そうです、離れてしまってみんながどうしているか心配なので、安心するために帰ってきて、あぁみんな元気でやっとるわい。ほなら、安心して又帰るは。頑張れよ。これが日本のお盆です。貴方の家のご先祖さんは、今年も安心して帰られましたか・・・・・。
第22号から 平成10年10月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
久しぶりに壇家さんを連れて「四国八十八ヶ所巡拝」に出かけました。四回に分けていきますので、今回は二十九番までの参拝でした。前日から興奮気味の私は、出発の日の朝は五時起床。生憎の雨ですが、興奮気味の私には眼中にありません。
何故興奮しているかって・・・?四国遍路は一言で言うと、別世界へ入り込める行なのです。世俗のことを一時忘れて、ただひたすらお参りすることに集中する。世間の動きも、テレビも煩わしさもけし飛んで、一人の遍路になることが出来るのです。今NHKの朝のテレビで、四国遍路を取り上げています。ちょっとしたブームになっています。しかも、歩く遍路に人気があるようです。私達はバスで団体で参りますが、一人とか二人で五十日ほどかけて歩いて参る方が多いのです。まさにきっちり入り込める行です。宗教の魅力の中に、自分を忘れて、ある世界に入り込める。というのがあると思います。座禅や瞑想、何万返も真言を唱える、滝に打たれる、山中を歩き続ける等。これは言葉で言うほど簡単ではありませんが、それでも少しのことで、その気にはなれるものです。正しい姿勢と正しい呼吸に基づいた瞑想。一日十分から二十分ほどでも結構その気になるモノです。忙しい人ほど、自分から離れて、自分を遠くから見てみることをお勧めいたします。どこへいったらそんなことができるの?誰がそんなことを指導してくれるの?忘れないでください。私がお坊さんであるということを。ちょっと落語好きではありますが、やるときはやるのです。どうぞお声をかけてください。 松尾
第23号から 平成10年11月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
今秋から「袈裟」を縫うことを始めました。「袈裟」は僧侶にとってはなくてはならないものですが、現在では、法衣店が作ってくれたのを購入すると言う形になっています。しかし、本来は僧侶自らが、いらなくなった布を集めて自分で縫うのがしきたりになっています。「袈裟」は今のように豪華できれいなものが本来ではなく、いらなくなった布を継ぎ合わせ、田の形に似せて四角く作るものなのです。今のパッチワークのようなものです。決して美しくもなく豪華でもありません。そんな「袈裟」の名前を「糞掃衣」と言います。そこで、原点に帰って「糞掃衣」を作ろうと言うわけです。
「袈裟」を田の形に作るのには、お釈迦様の指示がありました。小高い丘の上から弟子達に、福を生み出すあの田の形に似せて布を縫いなさい。そして、それを身体にまとい、自分の心の田を耕して、その中から自分の力で、自分に備わっている福徳を収穫しなさい。とおっしゃられました。それによって「袈裟」は田の形に縫い合わされ、別名を「田相衣」「福田衣」と言われるようになりました。
今私達「袈裟」を縫う会では、お家でいらなくなった布を集めています。今回は絹と麻とが主流です。着物一枚から、端切れまで、色柄は問いませんのでいただけたら幸いです。廃棄処分にされる運命の布が、今一度「袈裟」となって命を吹き込まれます。布をいただける場合は、編集者の松尾まで、最終ページの住所宛て送って下さい。又、縫う方の御参加もお待ちしております。落語家さんからも、着物の提供がありました。とっても嬉しいことです。 松尾
合掌
第24号から 平成10年12月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
年末から年始にかけて「日本流宗教イベント」参加の集い、が始まります。即ちクリスマス・除夜の鐘・初詣の三大イベントです。夫々に宗教が違うのですが、誰もそれを気にしていません。又別に気にすることも無いと私は思います。だって皆楽しそうじゃありませんか。私もイベントは大好きですから、一番に参加する方ですので・・・。
さて、其の中で前から気になっているのが、初詣です。自分の住んでいる地元の氏神様にもちゃんと詣っているのでしょうか?大きな神社大きなお寺、有名なところへ皆がお詣りすることに何も問題は無いのですが、地元をお詣りして他へ行くのはいいのですが、どうも皆地元の神様を大事にしていないみたいです。第一地元の氏神様がどなたなのかを知らず、人気のところへ行くようではまず御利益はありません。自分が日頃暮らしている地元の神様に挨拶なしにいきなり他所へお願いに行っても、向こうも貴方は誰なのというふうに困ってしまいます。
まぁ今までそれを知らなかった人は仕方がありません。でも新しい年には必ず地元の神様に御挨拶に詣りましょう。今世紀に一度もお詣りしたことの無い人は、今世紀の残りが後少しとなりました。急いで下さい。そして今世紀のお詫びと次の世紀へのお願いをしっかりしておいて下さい。そしてもうひとつ。お正月にはお墓にも挨拶に行ってあげて下さい。そうすると一年がいつもと少し変わります。とっても良い一年になることを、ちょっとだけ保証いたします。これからもよろしく御支援下さいませ。 合掌 松尾
第25号から 平成11年1月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
「御利益」はある。
と、いきなりなのですが、昨年の夏と暮れに「ジャンボ宝くじ」がちょっと当たりました。私はいつも連番十枚、バラ十枚で六千円分購入いたします。まずサマージャンボですが、六千六百円当たりました。元がとれて、六百円のプラス。これは東京浅草の浅草寺に御参りをいたしまして、真剣にお勤めをして、境内を出て一番最初に目についたお店で購入したものです。このときは友人が一人おりました。続いて年末ジャンボですが、十二月の初旬にお坊さん十数名で四国は讃岐の国、金毘羅さんへ御参りをいたしました。本殿よりも倍程奥にあります、奥社まで御参りしたのですが、大変奥社の方が喜んで迎えて下さり、丁度大阪の御夫婦とも一緒になり、奥社の中に入れていただき、真剣にお勤めをして参りました。そして金毘羅さんを降りて、同じように一番最初に見つけたお店で宝くじを購入いたしました。これは一万六百円当たりました。元がとれて四千四百円のプラス。
一億五千万円は当たりませんでしたが、とっても素直に喜べました。神仏の信仰を御利益だけの話にしては申し訳ないのですが、何だか久しぶりに「いいことがあった」という気にしてくれました。ですから今年はお正月から気合いが入って拝んでいます。不景気・世紀末何するものぞ、朝の来ない夜は無い、春の来ない冬は無い、今一心に勤めれば、今持っている蕾の中の華が、見事な大輪となって咲いてくれる。そう信じて拝んでおります。蕾の中の華に御利益を。華は咲く時期があるようです。あなたはいつ咲かせますか・・・。
第26号から 平成11年2月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、仏教的な話でお付きあい願います。
ピタッとはまることの恐ろしさを経験しました。ドンピシャ。もうそこしかないというはまりかた。実は二月の十八日に尾てい骨を骨折しました。昔、人にも尻尾があった頃の名残の骨。その先端が見事に折れた。状況はというと、車の後部座席に着いている、シートベルトの金具の上に、角度も位置もドンピシャで私のお尻が、少し勢いよくはまった。そこで見事に惨事はおきた。
もう厄年も終わって、今年からは最後の章への準備に入ろうと思っている矢先のいはば珍事。情けないことこの上ない。
去年の秋、文我さんに「常福寺だより」の原稿をいただいたときに、最後の高座はいつかということが書かれていた。まったく同感。私も最後を目指して生きていこうと思っていたときだけに共感がもてた。最後の時はいつ来るか全く判らない。誰も判らない。でも確実にやってくる。脅かす訳じゃないけれど今すぐ目の前かもしれないし、何十年もしつこく生きるかもしれない。悲観的に考えればとてもつらい命題だが、楽観的に考えれば夢いっぱいの今と明日を見ることができる。そう、大切なのは今。今の上に次がある。今日の上に明日がある。楽しくご飯を食べて楽しく語り、楽しく笑い、一生懸命勤めを果たしていく。そこに次があるような気がする。特にその中私は落語から大きな元気をもらっている。支えてもらっている。ありがたいこと。私と落語はドンピシャリ。ずーーと並んで歩いていく。このドンピシャリはいいのだが、お尻のドンピシャリにはまいってしまった。次の大当たりは宝くじといきたいのだが・・。
第27号から 平成11年3月
今回も編集者であり、大阪文我応援会世話人であり、僧侶である松尾自身の、話でお付きあい願います。
こんな歌を紹介していただいたので皆さんにも紹介します。
「祝婚歌」
二人が睦まじくいるためには
愚かでいる方がいい
立派すぎない方がいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと
気づいている方がいい
完璧を目指さない方がいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいている方がよい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけている方がいい
互いに非難する事があっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
後で疑わしくなる方がよい
正しいことを言うときは
少し控えめにする方がいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいている方がいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったり、ゆたかに
光を浴びている方がいい
健康で、風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと、胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして、
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人には、わかるのであってほしい
(結婚披露宴での来賓の方の朗読より)