「文我さん、ネタについてのつぶやき」

    《落語百席プログラムより》

=その17=

「癪の合薬」

別名「茶瓶ねずり」「やかんなめ」とも言います。落語の主人公は何か災難にあったり、困難を引き受けたりすることが多いものですが、この「癪の合薬」に至っては、その代表選手であるとおもいます。小品でありながら、捨てがたいおもしろさがあり、東西通して、あまり舞台にかけられることはありませんが、これからも残っていくネタの一つといえましょう。時代が進むにつれ、このようなネタは滅んでいくように思われがちですが、かえって昔ののんびりした噺を聞きたいという需要は増えてくるのではないでしょうか。どちらかといえば、ホール落語ではなく、お座敷の、こじんまりした会場で聞いていただく方が向いているネタといえます。これは現実的ではないネタだけに、このようなことがあったらおもしろいだろうな、という感覚でお楽しみいただければ幸いです。

「富久」

前名の桂雀司時代に何回か舞台にかけ、しばらくご無沙汰というネタです。これには訳があって、師匠の桂枝雀から「今の時点でやるのではなく、もう5年ほどたってから、また改めてやった方がよい」というご意見をいただいたからです。それは複雑な内容と、その心理描写の難しいネタだけに、まだまだ演じていくのは無理だ、ということであったわけで、かといって、5年たった今現在、それを演じきれると言うのでもないでしょうが、5年ぶりに改めて挑戦してみようと考えて、今回の上演と言うことになりました。5年たてば、またネタをみる角度や、演出プランも変わるもので、5年前の「富久」とは、ずいぶん違うものとなっています。名人といわれた八代目桂文楽師が、このネタを上演すると言っておきながら、なかなかそれに至らなかったというエピソードがあります。東京落語の大ネタの一つですが、その上方バージョンは、楽しさと、賑やかさ満載でお楽しみ願おうと心がけている次第です。

「かけとり」

このネタは私にとっては思い出深い演目なのです。文我襲名披露落語会でも、このネタをやらせていただいた回数が一番多く、確かにやっていても、自分自身がかなり楽しめます。このネタをやり出すきっかけとしては、このネタの演出として以前から浄瑠璃を入れるものがあったのですが、その節回しと、言葉がどうも納得いかず、池田市在住の、竹本角重師に、この浄瑠璃の部分を整理していただき、私なりの「かけとり」浄瑠璃バージョンをあつらえることができたのです。台本としてはうまくできたと思うのですが、さて、舞台の出来と言うことになると、これはまた別問題で、うまくいくときもあれば、もう一つと思う場合もあります。さて、本日はどんなもんでしょうか?

落語百席Vol.25プログラムより

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