「文我さん、ネタについてのつぶやき」

    《落語百席プログラムより》

=その19=

「権助芝居」

田舎の人が出てくるネタが大好きです。ただ、上方落語と東京落語では、その田舎言葉がかなり違っているのです。上方落語の私としては、上方落語の田舎言葉を使った方がよいのでしょうが、私は何となく東京落語の田舎言葉に愛着があるのです。そこで、田舎の人が出てくる落語では、上方落語と東京落語の田舎言葉を交ぜたような、しわば「文我の田舎言葉」を使うほのぼの田舎人間を登場させることにしています。とにかく、どのようなアクセントや言い回しを使っても、その人間を愛すべき人物に仕上げることができればいいわけで、それに少しでも近づくように心がけているつもりです。このネタは別名「一分茶番」とも言います。東京の寄席ではポピュラーなネタですが、大阪ではあまり演じる人のいないネタなのです。

「らくだ」

人の死は悲しいもの・・・。とは断言しにくい、というのが、このネタの大きな柱になっていると思います。このネタを故六代目松鶴師が演じたときなどは、豪快さと壮絶さが混ざり合い、まさに不思議の世界につれていかれたように感じたものです。私はこのネタはおそらく生涯演らせてもらうことはない、つまり、自分に合わないネタの一つだと長年思っていましたが、ある演者の舞台を見せてもらっているときに、私ならこのように演るという気になり、昨年から舞台にかけさせていただきました。いろんな方の舞台を見せていただいたり、録音を聞いたりしましたが、意外に面白く感じたのが、初代・桂春団治師のSPレコードでした。時間制限のある昔の吹き込みだけに、この長編を三十分弱でさげまで持っていく、そのせわしなさは確かに感じますが、やはり春団治独特の困りの雰囲気が大きくものをいい、誠に賑やかで楽しい「らくだ」となっています。よろしければ、一度お聞きになってみてください。

「ほうじの茶」

お客様に私の学芸会のお着き会う願うという、何とも失礼で申し訳ないネタが、この「ほうじの茶」です。しかし、このようなネタも百席の中の一席として存在していること自体、面白いととらえていただければ幸せです。元々はこんな演出のネタではありませんでした。元は歌舞伎役者の声色を入れ込んだりする、声帯模写の落語バージョンともいえるネタだったのですが、声色より学芸会にした方が面白かろうと、勝手に作り替えてしまいました。数年前の大阪サンケイホールでの桂枝雀独演会でもやらせていただきましたが、そのときに師匠の枝雀から「あほらしいけど、おもしろいは」と言っていただけたので、今でも懲りずに舞台にかけている次第です。

落語百席Vol.27プログラムより

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