「文我さん、ネタについてのつぶやき」
《落語百席プログラムより》
=その21=
「馬の田楽」
落語の題名の付け方は、なるほどと納得できるものもあれば、実に不可解に感じるものもあるのです。もっとも、落語の題名というものは、昔はお客様に前もって公表するものではなく、仲間内の心覚えのようなものであり、その題名で仲間内だけが分かり合えば、それで良かったのです。この「馬の田楽」というネーミングも、何のことだかさっぱりわからないと言うお方がおられましょうが、最後まで聴いていただければ、その疑問は解消いたします。昔の大阪の市中で起こった、それでありながら、牧歌的な雰囲気のただようこのネタが、私は大好きです。そして、人の困りだけで延々と筋を引っ張っていき、そのエスカレートの仕方が、いかにも無理が無く、おもしろさが増幅していくという、短編ではありますが、落語の中の名作であると思います。
「狸の化寺」
桂米朝師が復活させたネタで、ほとんど米朝作といっても過言ではありません。田舎が舞台でありながら、都会的なセンスが抜群の一席で、これもすべてが米朝師の構成力の凄さだと思います。私は三重県松阪市の山の中で生まれ育ったこともあり、近所のこの「化け寺」に近いようなお寺があったのを覚えています。村のお年寄りに「あの寺の山へ行ったら、狐や狸に化かされる。いったらあかん」と、よく言われました。これは山で子どもが迷子になるのを未然に防ぐための、お年寄りの知恵による忠告だったのですが、幼い自分の私にとっては、このお寺の怖さは絶大であり、そのお寺から出てくるお坊さんまでが、なにやら「地獄からの使者」のように感じたものです。今現在、そのお寺に行くと、閑静な、そして、少し値打ちを感じる古刹であり、幼い頃に感じた恐怖感は微塵も感じません。しかし、思い返せば、そのころのそのお寺の方が、もっと大きく、何かわからない未曾有のパワーを有している場所だったと、懐かしく感じる次第です。
「死神」
このネタは、不気味に演じるか、漫画チックにするか、写実に走るか・・・・演者として構成・演出を、はっきりさせなければ失敗するように思います。勿論、それらのようそがすべて入っていれば、これは又、結構なものとも言えますが、一貫したネタの雰囲気というものが、とても大きくウエイトを占める落語であると思うのです。そして、結末(さげ)の工夫が、いろんな演者によってなされ、その演者々々によってかなりの違いを見ることができる一席でもあるのです。元々は江戸時代の大名人、三遊亭円朝の外国ネタの翻訳物であったと言われていますが、今となっては、原本を離れた、立派に一人歩きしているネタになったといえましょう。
落語百席Vol.29プログラムより