「文我さん、ネタについてのつぶやき」
《落語百席プログラムより》
=その23=
「手向け茶屋」
このネタは、東京落語では寄席でもおなじみで、かなり上演度の高いネタで、演題を「お見立て」と言います。その上方バージョンがこの「手向け茶屋」で、かなり改変を試みました。私としては、四代目・春風亭柳好師、六代目春風亭柳橋師がお演りになった演出や、雰囲気が大好きで、その様子が少しでもいただければと思っております。このネタは田舎言葉が活躍いたしますが、落語の上の田舎言葉は(以前に権助芝居のときにも述べましたが)、日本のどの地域の言葉ということに限定はできないのですが、とにかく田舎を感じさせるような言葉遣いをする、そんな言葉なのです。そして、これも東京落語と上方楽語では大分違うのですが、私の場合、上方落語家でありながら、東京落語の田舎言葉が好きなこともあり、そちらを多用して演じています。
「土橋万歳」
いかにも上方落語という感じのネタです。それだけに東京落語には移植しにくかったわけで、東京落語として演じられたことは、おそらく一度もなかったことと思われます。上方落語の中で東京落語に移植されなかった原因としては、その当時の東京人から見てばかばかしく見える設定か、それとも複雑怪奇な内用か、ということにつきるのですが、この土橋万歳に限っては、その理由はもっと違うところにあったようです。今となっては時代遅れと感じる人物設定や条件設定にも、上方色が濃厚であり、芝居のパロディとなるところも上方芝居のおいしさが十二分に感じられるのです。人情噺のジャンルには入りませんが、それらしい風情はたっぷりであり、登場人物の言葉一つとってもなかなか興味深いモノがあります。以前から手がけてみたい演目の一つでしたが、なかなか手が出ず、昨年の末にやっと米朝師匠に稽古を付けていただき、上演にこぎ着けました。それだけに、これから先も大切に取り組んでいきたいと思っているネタなのです。
「藪入り」
さて藪入りとはなんぞや、と思われる方も多いことでしょう。平成の今日では滅多に聞くことのない言葉となりました。これは、その昔商家等でお正月とお盆の十六日に、奉公人が主人に暇をもらって我が家へ返ることで、宿下がりとも、宿おりともいわれていたようです。語源としては、藪は草深いということから、都会から田舎へ帰るからだとか、父母亡き者や遠卿の者は藪林に入って休みをとったからだとか、諸説あります。何にしても、その当時の奉公人、殊に子どもの丁稚などは、この藪入りが待ち遠しくて仕方なかったものと思われます。これに近いシステムは現在皆無に等しくなりました。落語家の内弟子修行が、まだそれにかなり近いものといえましょうか。
落語百席Vol.31プログラムより