「文我さん、ネタについてのつぶやき」
《落語百席プログラムより》
=その24=
「ちしゃ医者」
「ちしゃ(苣と書き、古くはチサだったが、平安末期頃はこの言い方になっていたらしい。)」という食用草は、以前より知っている人が多くなったようです。焼き肉やさん大繁盛の昨今、焼き肉と共にこの「ちしゃ」を食べることが多く、かなり若い人たちも、以外にこの呼び名を知っているようです。山間部で幼年期を過ごした私は、この「ちしゃ」を沢山食べて育ちました。そのころからサラダと言えば、この「ちしゃ」を使っていたようで、大阪の焼き肉やさんで「これと一緒に食べたら、おいしおまっせ」と、この「ちしゃ」を出してもらったときに、別段珍しい食べもののようには感じられませんでした。そういうこともあり、このネタの田舎の風景や風情、そして、早朝の空気のおいしさなどは、都会育ちの噺家よりも腹から実感できると自負している次第です。
「大丸屋騒動」
落語の中にも、このような種類の物があるのかと驚かれる方もあることと思います。私が初めて聞いたときもそう思ったものですから。怪異談とは正にこのネタのようなものを言うのでしょう。お化けや幽霊の話ではないのですが、現世でゾーッとさせる物があるという実例です。今年お亡くなりになられましたが、森乃福郎師の「大丸屋騒動」が大好きでした。押しつけがましくない恐ろしさに、京都の風情や、若旦那の雰囲気がハンナリしていて、あまりそういう風に評した人はいませんでしたが、このネタにおいては、福郎師が名演であったと思います。ご自身が京都生まれの京都育ちということからの思い入れもあったのかもしれません。初代・桂枝太郎の名演が、平成の今日まで語り種になっている、この「大丸屋騒動」。確かに別格の難しさと魅力にあふれている、落語の中では、別看板のネタとも言えましょう。今の私にとっては、一生懸命に雰囲気と形、そして、その気をできるだけお伝えするのみです。宜しくお付き合い下さいませ。
「豊竹屋」
義太夫を扱ったネタも、この「桂文我落語百席」では何席かでました。「寝床」「後家殺し」などがそれで、少しだけでも入るネタと言えば、かなりの数になってくるでしょう。この「豊竹屋」は、その中でも小品でありながら、捨てがたいおもしろさがあり、又、こういうネタが好きだったことも手伝い、もう十五年以上前から演らせていただいている次第です。そのころから比べれば、構成も演出もかなり変わってしまいましたが、舞台にかける度に楽しく演じることのできるネタの一つです。なにやら大喜利の延長線上のように感じるネタでもありますが、そのコント性の強い中に、生活感や人情が感じられる、愛すべき逸品であると思います。
落語百席Vol.32プログラムより