「文我さん、ネタについてのつぶやき」

    《落語百席プログラムより》

=その25=

「宿屋仇」

ネタの好き嫌いは誰にでもあると思います。聞き手ばかりではなく、演じての方もそれはあることで、ネタに対しては、誠に申し訳ないことですが、実は私にも嫌いなネタというのは存在するのです。演じることが嫌いと言うばかりではなく、聞いているのもいやというものがあるのも事実で、実は何年か前までは、この「宿屋仇」がそれでした。何故かというと、一度聞いたら、その筋立てが記憶に残りやすく、その上時間的にも長く、何やらゴジャゴジャしているというのが、その理由でした。確かに内容としては、良くできたネタだと思いますし、昔なら本当にそんなことがあっただろうとも思える内容だけに、毛嫌いすることはないのですが、どうも生理的に合わなかったようです。しかし人間というのは不可解なもので、今年になって俄然意欲のわくネタとなりました。それは、筋立てや、内容だけではなく、そこにでてくるキャラクターが一人一人好きになってきたのです。これは私にもわからない不思議な感覚ですが、何やらネタの方がこちらへ歩み寄ってきてくれた、縁を持ってきてくれたとも思えるようなことで、この縁は大事にしたいと思っています。登場人物が少ない割には、場面のカット割りが多く、又、劇中劇のような所にも力が要るネタだけに、なかなか至難のネタと言えましょうが、それだけに演じ手としての楽しみも多く、今後も細かい部分に気を配りながら、快く仕上げていきたいと考えています。

「龍宮界龍の都」

別名を「小倉船」と言い、珍しく九州が舞台となっております。おとぎ話と歌舞伎を足したような内容で、大人の玩具箱とも言えるような演出が施してあります。上方落語の楽しさや、バカバカしさがよくでているネタだけに、この世界に浸っていただければ、他のネタでは味わえない醍醐味があると思います。とにかく、お囃子が沢山入り、賑やかさは抜群だけに、邦楽に興味を持っておられる方にとっては、ひと味違う楽しみ方ができることでしょう。私としましては、前半は容器に楽しく、半ばは忠実に、後半は形よく演じようと思っています。このネタは前半は海の上、後半は海中が舞台となりますが、平成の今日、これだけ科学が進んだとは言え、まだまだ海の底のことは全くわかっているとは言えないだけに、夢物語として、気持ちの上で遊んでいただきやすいかもしれません。オチは従来のものとは変えてあります。従来のオチには架空の生き物「猩々(しょうじょう)」が登場しますが、これは流石にわかりにくくなったと思いますので、今回のオチにしてあります。お伽噺的な落語だけに「猩々」が出てくるのもオツなものですが、さて、どちらが良いものでしょうか・・・。

落語百席Vol.33プログラムより

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